minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

呪縛

突発的に死にたくなる。
殺してほしいとすら思う。

 

車の運転をしていて、あぁ、このまま突っ込めば死ねるのかもと。
初めてリアルに想像をした。
そして加速していく。

 

自殺はしてはいけない。
その呪縛から解き放たれているのかも。

 

だったら、死んでしまいたい。
世の中の穢れを吸い取って。
学生時代に思っていた通りに。

 

自殺をしてはいけない。
そんな呪縛をかけた母親に対しての憤りと怒りが。

 

多分普通ならもっともっと早くに済ませておくべきことなのかもしれないけど、ごまかしごまかし生きてきたから、今やっとその時期なのかもしれない。

 

いっそ死ねたら。
死にたい。

 

そんな言葉を吐き出すのはためらって。
消えてしまいたい。
そういう言葉に置き換えてごまかしてきた。
けど、死んでしまいたい。

 

もうこのまま。

免罪符

いろいろな書き込みを見た。

いろんな考え方があるんだなと改めて認識した。

 

メンサにしても。

ギフテッドにしても。

精神障害にしても。

 

メンサ。

ただIQが高いだけ。

情報処理能力が少し高いだけ。

決して聖人の集まりでもなく。

かといって悪人の集まりでもなく。

普通。

普通。

いたって普通。

 

権力が好きだったりお金が好きだったり。

忖度して適当に流すだけ。

 

人と違うから。

そうやって生きてきたんだろうと思っていても、ひとそれぞれ。

苦しみを感じて来た人もいればいないひともいて。

事なかれ主義で。

自分大好きで。

いかに自分をよく見せるかにばかり固執していたりして。

選民主義であったりして。

 

 

ギフテッドも精神障害も。

病気だからということでそれを言い訳にして動きをとめてしまう。

理由にして自立することはやめて周りになんとかしろと強要するようになる。

病気だから障害者だから、だから、今のままでいいとかわけのわからない理由で自分を納得させてその理由を周りにも押し付ける。

今のままどころかもっと手厚くしろとか言わんばかりに。

 

 

人と違うから。

マイノリティだから。

それを理由に自立をするのをやめる。

努力することをやめる。

そんな人たちが思いのほかたくさんいてうんざり。

 

社会貢献していない。

なのに、病気だから手厚くフォローしろ。

病気で働けないから金も援助しろ。

なんのために生きているのだろうか。

目的はなに?

 

考えることを辞めたらそれはもう人間ではない。

自分にとっては、考えること、知ること、そういう欲求がなくなったらもうそれは。

 

ただ空調の管理されたところで、時間通りに餌が出てきて、食べて寝て。

その繰り返しの日々。

それは人間なのだろうか。

自立できなければ、それは。

 

社会との関わりを絶って。

っていうのなら、山の中にでも籠もればいい。自給自足すればいい。

そんな勇気も努力もなく。

ただ、楽に人と関わらずにいかにタダメシを食っていけるのかそれだけを考えても。

 

そんなので生きている意味はあるのだろうか。

 

だったら、苦しんで苦しんで苦しんで。そうやって生きた方がよっぽど人間らしいような気がする。

悩まなくなるのはいいこと?

他人に敷かれたレールにタダ乗りするのは楽しいの?

 

とっても疑問。

 

病気を理由に努力を辞めて。

なにも変化もなく、ただ停滞しているだけ。

停滞しているだけでは腐る。

水は流れて水になる。

風は吹かれて風になる。

人は揺られて人になる。

人は悩んで考えてそれによって人として存在できているのではないのかなと。

 

そして、苦しみはいつか大きなエネルギーに変わる。

 

過保護になりすぎるのはよくない。

それが今年一年の結論。

 

ゲイであるということもそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年という年

”風は吹かれて風となり水は流れて水となり人は揺られて人となる。”
とっても影響を受けた漫画の一節。
イティハーサ
先日、Amazon電子書籍になっているのを見て、久し振りに全部読んだ。
家には、全巻揃ってはいるのだけれども、移動中には持ち歩かなければならなくて。

 

2017年。


メンサに入って、ギフテッドについて調べ。
自分について色々と考えて。
なにができるのかなとか、何かしていきたいと思っていた。
ずっとそう考えてた。
こんな苦労してきたのだから、こんな苦しんで来たのだから。
それを誰かに伝えて、同じ思いをする人を減らしたいとすら考えていた。

 

けど、ここ数週間はそういう思いも無くなってる。

 

2018年。
どうやって生きていこうか。

 

 

 

 

備忘録

記憶が抜けて無くなる。

主治医のところへ約3ヶ月ぶりに受診。
いつもなら、来なかった間どうだったのかなんて話をするし、できるのだけれども。
どうも記憶が抜け落ちてる。
どうだったのかなんてわからない。

 

困ったな。

記録をつけておかないと。

 

忙しすぎて忘れていたのならいいのだけれども。
そうではないのなら、なんらかの障害が起き始めているのかもしれない。

 

泥酔なんてしたことがない。
酒アレルギーだった幼少期。
今でも日本酒はムリ。
飲んでも意識を失うとかはしたことがない。
怖くてできない。
なにを話し出すかわからないし。
どの人格が出てくるのかわからないし。

 

だから酒は避けてきた。
最近は、少し飲むようになってきた。
使い分けとかやめたし、まぁ、なにを知られてもいいだろうという相手としか飲まないからいいのだけれども。
それでも、記憶がなくなるというのは恐怖でしかない。

 

なにをしてしまったのかわからない。
なにを話したのかわからない。
そんな恐怖は要らない。

 

泥酔して意識を失ってそこらへんに寝ていられる人が羨ましいとすら思う。
なんでそんなに周りに対して無防備でいられるのか。
周りは全て敵。

 

ふと。

ふと思った。
SNSを始め、マイノリティが集まって傷を舐めあい。

それが果たしていいことなのかと。

そこで社会に対して順応しようという努力を止めてしまうのなら、それはすべきではないのかもしれないと。

少なくとも自分は。

 

社会に対しての順応って、書くと語弊が生じかねないだろうけど。

マイノリティが集まって、傷の舐め合いをして、自分は自分でいいんだって。

それまではいい。

だけど、それで、なにかをやめてしまうのは、よくない。

 

なにかって具体的に言葉が思い浮かばないけど。

 

自分は自分でいい。

だからありのままで。

と開き直って他人に迷惑をかけて生きていくのはどうなのかなと。

弱者なんだから守られなければならないとか。

そういうの違うような気がする。

自立できないのなら。

 

傷の舐めあいなんてしていたって所詮他人。

自立の阻害になるのなら、それは要らない存在。

むしろ迷惑な存在。

 

コミュニケーションが取れないから。

苦手だから。

だからそのまま理解しろって脅迫はおかしい。

お互いの歩み寄り。

偽善の暴力で、理解なんて言葉使われたくない。

 

自立ができなければ、動物は死ぬ。

支え合って生きていく。

その支えが一生あるのなら、別に構わない。

いつかなくなるかもしれない。

そんな風に考えたら恐怖でしかないし、そうなったときのために何かをしないと。

 

人間、努力をしないとダメになる。

勉強だけの話ではなくて。

仕事でも、人間関係でも。

楽をしてはいけないのではなくて。

停滞してはいけない。

停滞した水は濁る。

人間も濁る。

 

似た者同士で集まって、傷の舐め合いして、流れを滞らせているのなら。

それは、違うんじゃないかなと。

前向きでも後ろ向きでも、動かないと。

 

 

無題

人格の使い分けをやめて。
不具合が生じてきているのはそうなんだけど、なんだか長いことそれで均衡を保っていたんだろうなと、つくづく思う。

今は、もう典型的な躁鬱病患者
コントロールできないし。
波は激しいし。

今までは、人格を使い分けることによって、いろいろと抑えてきたんだと思う。
それが、全部まとまってどうにもならなくて。
辛いことも悲しいことも。
怒りも。
喜びも。
すべてが強く出て。
イライラしっぱなしだし、突然涙は出てくるし、情緒不安定。

仮面をかぶることによって、ごまかしてきた部分。
抑えていたものが解放されたのかと。

痛みも感じなかった。
悲しみも辛いという思いも、どこか別の人のこと。
他人事に感じられていたから、どうってことなかった。
だからそうしてきたんだろうけど。

それが、もうわからない。
仕事している時だけ。
まともでいられるのは。

楽しいということがどういうことかわからない。
幸せって瞬間的な刹那的なことでしか感じられない。

もう辛くて辛くて感情を殺すと楽になる。
というよりも感じなくなる。

けど、昔みたいに、完全に切り離すことはできない。

仕事しているときは、先々のことをポジティブに考えられる。
だけど、仕事を離れると、怒りと哀しみだけ。消失願望だけがただただ。
感情を殺すと、まともに歩けなくなる。
なんでだろう。
一滴も飲んでいないのに、まっすぐに歩けなくなって倒れそうになって。
出来損ないのロボットみたいに。

救われるのは
唯一、映画や小説の世界に逃げ込むことだけ。
もう死にたい。

依代になって、穢れを背負ってとっくに死んでいたはずなのに。
2回も死に損なって。
身体障害者手帳を受給してまで生きてるなんて。

2回死にそこなった時に医者に言われた。
なんでこんなになるまで我慢していたんだって。
我慢なんてしているつもりはなかった。
体調なんて悪いのが当たり前。
いい時なんてあまりない。
それに、今考えると、辛いとかそういうの感じにくくなっていたみたいに、鈍感になっていたのかもしれない。

なんでそこまでして生きていなければならないんだろう。
子孫を残せるわけでもないのに。

ヒトリ

中森明菜と同じ誕生日。
というだけで、ファンになった小学生時代。
でも、あんな事件があって。
そして小学生高学年の頃には、もしかしたら恋愛に関しては幸せになれない星の下に生まれたのかもと感じ。

結果。
同じかも。
重度の鬱病
恋愛どころか結婚もできない。
日本では。

それに、そもそも。
重たすぎて好きな人とは付き合えない。
好きな人には幸せになってもらいたいと思う。
そうなると自分ではないと思う。
穢れきっていて。
相手に迷惑をかけるのが恋愛だって言われたけど、迷惑かけたくないし、負担になりたくないし。ってなるともう無理なわけで。


だれかと一緒に過ごすなんて耐えられない。