minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

なにかが見える。

 人と違うとは気がつかなかった。

 他の人には見えない、感じない、聞こえないものがわかる。

 視覚で認識することもあれば、目は使わずにイメージがダイレクトに脳に伝わることもある。

 脳にイメージがとどくことの方が多いかもしれない。

 人に言っても頭がおかしいとしか思われない今の日本社会において、これは誰にも言わない秘密のこと。

 

 母親の家系が信仰深く、小さい頃から神様の話を聞かされていた。

 オカルトと言えばオカルト。

 だけど、小さな自分にはそれが当然で。

 目に見えないものの存在は信じていた。

 

 匂いがする、気配を感じる。視える。

 誰もいないところで、ふと感じる。

 

 自分が見たくて見ているのではないかとも思う。

 特別でありたいという願望が見せているのではないかとも思う。

 だけど、実際に見えてしまう。

 ふとした時に。

 それはとても怖いものであったり、何も感じないものであったり。

 

 小学生の頃、父親の実家に一人泊まったことがあった。

 夜中、といっても、11時くらいだったのかもしれないが、ふと目が覚めた。

 そこには、何かの足があった。

 人間ではないもの。

 当時の自分の語句では、河童と言っていた。

 河童の足が見えたと。

 水かきがついていて、二足歩行。

 だから河童。

 よくよく考えると鳥でも二足歩行するものいるのにね。

 

 車で一時間くらいの距離。

 そんな夜中に自宅に電話をして、父親に迎えに来てもらった。

 それが今でも忘れられない。

 

 伯父が他界した時、それは初七日だったのか49日だったのか、記憶には定かではないが、伯父が光に向かってあるいていくイメージが視えた。

 あぁ、これで成仏できたのかなと。

 

 祖母の法要の時、お坊さんが読経していると、お寺の左上の隅に何かいるのを感じた。

 日本髪を結った若い女の人。

 あれは誰だったのだろう。

 

 社会人になってからも続いていて、部屋で寝ていると視線を感じて目が覚めて、その方向を見ると窓の外から覗き込んでる目が視えた。

 思い出すと鳥肌が経つ。

 二階の部屋。

 カーテンの隙間から顔をのぞかせていた。

 

 それ以外もいろいろとある。

 誰もいないはずの二階で足音が聞こえたり、何かを動かす音が聞こえたり。

 廊下から誰かが視てるなって感じて、意識を集中すると、背が高い痩せた男の人か。とか。

 

 匂いもある。

 何もないところで、突然お線香のにおいがしたり。

 あの人がつかってる香水か、と感じたり。

 

 今では、あー誰かいるなー、誰だろう。

 何か悪いことしたのかな。

 憑いてこられてしまったか。

 

 なんて、日常。

 月に一度お祓いをしてもらうのも日常。

 

 そんな生活。