minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

打ち上げ花火の持つ危うさ

一晩経って消化してきた。

 

はじめに言うと、今のアニメーションの表現は中途半端で苦手。

受け入れられないことが多い。

もっとデフォルメした昔のアニメ、もっとお金をかけてリアルを追求した(と言ってもアニメとしての表現の中で)ジブリのような世界。

ならまだ受け入れられる。

CGの世界に近づいているアニメーションの表現はとても苦手。

吹き替えも違和感。

もちろん違和感のない場合もある。

けど、この顔でこの骨格でこの声??と思うことの方が多いし、口の動きと声が合っていないのが中途半端で気持ち悪い。

いわば、全編クロちゃん(安田大サーカスの)が演技しているかのような違和感。

 

 

観たあとは、Forever Friendsに全てを持って行かれて、心をかき乱されたけど、冷静になって思い返すと。

 

 

やはり、あの年頃特有の危うさ。

少年少女の持つ危うさが全編通して消えている。

アニメーションのせいもあるだろうけど、菅田将暉広瀬すずじゃ、もうあの年頃の雰囲気は出せない。

そして、無理矢理話を延ばしたせいか、なんだかしつこい。

パラレルワールド感を出したかったのか、今時にはなってはいる。

だけど。

ifの演出が過剰すぎるし、もっとシンプルで、もっと儚くていいんじゃないのかなと、強く思う。

無理矢理エンターティメント作品にしようとしている気がしてならない。

 

もっと、ひっそりと、とある名も無い小中学生の日常の中に起こった不思議な話。

それをこっそりと覗く。

そんな感じが良かったんじゃないのかなと。

 

あとは、岩井俊二の透明感のある絵とREMEDIOSの透明感のある声。

それが微妙にマッチしていた作品だった。

多分。

 

その微妙さを破壊した作品な気がしてならない。

 

 

今の小中学生の世代には、あのくらいのストーリーにしないと響かないのかもしれないけど。

当時の映像ファンとしては、、、