minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

審美眼

審美眼


世の中には思考をとめてしまって、判断を誰かに委ねる。
そんな人たちが少なからずいる。
理由は、考えたくないからとか、考えても仕方ないからとか、難しすぎるからとか、責任をとりたくないからとか、さまざま。

いずれ、AIが活躍し始めると、おそらくこの人たちは増える。
AIに委ねて自分で考えることをとめてしまう。

どこまで委ねるのかは個人差はあるだろう。


AIに委ねる生活。
それはそれで楽なのかもしれない。
管理されているようなものだから。


多様な価値観に溢れ、処理しきれないほどの情報にさらされていけば、そうせざるを得ないのかもしれない。


そうなっていったときに、きっと人は別れていく。

AIに支配されていく人。
そうではない人。
そして、AIを持つことのできない人。

AIも多様性をもっていればいいかもしれないけど、似たような社会で似たような生活。
差はなくなっていくのかもしれない。
そうなると個人の特性はますます埋もれていくのか。

 

いずれにせよ、多様な価値観と異常なほどの情報にさらされて、決断を迫られることが起きるだろう。
そうなっていったときにさまざまなことの判断を自分でできるようにいることが必要になる。
たぶんそれが人間らしさで人間にしかできないこと。しばらくは。

理論
数値
数式

そういうことで結論づけられることはAIに任せてもいいのかもしれない。
けど、感情に感覚にそういう分野はまだしばらくは人間のほうが優位だと考える


感覚に働きかけるものは何か。
感情を揺さぶるものは何か。
アートをはじめとした、最低限の生活には必要のないもの。
生活を彩るプラスα。

得てして役にはたたないコストとして切り捨てられるもの。
それが、きっとこれから大事になっていく。


自分なりの審美眼を持って判断ができて、良いと思えるものをセレクトできる能力。
物理的なものではなくて、感覚的なもの。
そういう世界に足を踏み入れ始めている。