minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

無題

人格の使い分けをやめて。
不具合が生じてきているのはそうなんだけど、なんだか長いことそれで均衡を保っていたんだろうなと、つくづく思う。

今は、もう典型的な躁鬱病患者
コントロールできないし。
波は激しいし。

今までは、人格を使い分けることによって、いろいろと抑えてきたんだと思う。
それが、全部まとまってどうにもならなくて。
辛いことも悲しいことも。
怒りも。
喜びも。
すべてが強く出て。
イライラしっぱなしだし、突然涙は出てくるし、情緒不安定。

仮面をかぶることによって、ごまかしてきた部分。
抑えていたものが解放されたのかと。

痛みも感じなかった。
悲しみも辛いという思いも、どこか別の人のこと。
他人事に感じられていたから、どうってことなかった。
だからそうしてきたんだろうけど。

それが、もうわからない。
仕事している時だけ。
まともでいられるのは。

楽しいということがどういうことかわからない。
幸せって瞬間的な刹那的なことでしか感じられない。

もう辛くて辛くて感情を殺すと楽になる。
というよりも感じなくなる。

けど、昔みたいに、完全に切り離すことはできない。

仕事しているときは、先々のことをポジティブに考えられる。
だけど、仕事を離れると、怒りと哀しみだけ。消失願望だけがただただ。
感情を殺すと、まともに歩けなくなる。
なんでだろう。
一滴も飲んでいないのに、まっすぐに歩けなくなって倒れそうになって。
出来損ないのロボットみたいに。

救われるのは
唯一、映画や小説の世界に逃げ込むことだけ。
もう死にたい。

依代になって、穢れを背負ってとっくに死んでいたはずなのに。
2回も死に損なって。
身体障害者手帳を受給してまで生きてるなんて。

2回死にそこなった時に医者に言われた。
なんでこんなになるまで我慢していたんだって。
我慢なんてしているつもりはなかった。
体調なんて悪いのが当たり前。
いい時なんてあまりない。
それに、今考えると、辛いとかそういうの感じにくくなっていたみたいに、鈍感になっていたのかもしれない。

なんでそこまでして生きていなければならないんだろう。
子孫を残せるわけでもないのに。