minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

ふと。

ふと思った。
SNSを始め、マイノリティが集まって傷を舐めあい。

それが果たしていいことなのかと。

そこで社会に対して順応しようという努力を止めてしまうのなら、それはすべきではないのかもしれないと。

少なくとも自分は。

 

社会に対しての順応って、書くと語弊が生じかねないだろうけど。

マイノリティが集まって、傷の舐め合いをして、自分は自分でいいんだって。

それまではいい。

だけど、それで、なにかをやめてしまうのは、よくない。

 

なにかって具体的に言葉が思い浮かばないけど。

 

自分は自分でいい。

だからありのままで。

と開き直って他人に迷惑をかけて生きていくのはどうなのかなと。

弱者なんだから守られなければならないとか。

そういうの違うような気がする。

自立できないのなら。

 

傷の舐めあいなんてしていたって所詮他人。

自立の阻害になるのなら、それは要らない存在。

むしろ迷惑な存在。

 

コミュニケーションが取れないから。

苦手だから。

だからそのまま理解しろって脅迫はおかしい。

お互いの歩み寄り。

偽善の暴力で、理解なんて言葉使われたくない。

 

自立ができなければ、動物は死ぬ。

支え合って生きていく。

その支えが一生あるのなら、別に構わない。

いつかなくなるかもしれない。

そんな風に考えたら恐怖でしかないし、そうなったときのために何かをしないと。

 

人間、努力をしないとダメになる。

勉強だけの話ではなくて。

仕事でも、人間関係でも。

楽をしてはいけないのではなくて。

停滞してはいけない。

停滞した水は濁る。

人間も濁る。

 

似た者同士で集まって、傷の舐め合いして、流れを滞らせているのなら。

それは、違うんじゃないかなと。

前向きでも後ろ向きでも、動かないと。