minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

免罪符

いろいろな書き込みを見た。

いろんな考え方があるんだなと改めて認識した。

 

メンサにしても。

ギフテッドにしても。

精神障害にしても。

 

メンサ。

ただIQが高いだけ。

情報処理能力が少し高いだけ。

決して聖人の集まりでもなく。

かといって悪人の集まりでもなく。

普通。

普通。

いたって普通。

 

権力が好きだったりお金が好きだったり。

忖度して適当に流すだけ。

 

人と違うから。

そうやって生きてきたんだろうと思っていても、ひとそれぞれ。

苦しみを感じて来た人もいればいないひともいて。

事なかれ主義で。

自分大好きで。

いかに自分をよく見せるかにばかり固執していたりして。

選民主義であったりして。

 

 

ギフテッドも精神障害も。

病気だからということでそれを言い訳にして動きをとめてしまう。

理由にして自立することはやめて周りになんとかしろと強要するようになる。

病気だから障害者だから、だから、今のままでいいとかわけのわからない理由で自分を納得させてその理由を周りにも押し付ける。

今のままどころかもっと手厚くしろとか言わんばかりに。

 

 

人と違うから。

マイノリティだから。

それを理由に自立をするのをやめる。

努力することをやめる。

そんな人たちが思いのほかたくさんいてうんざり。

 

社会貢献していない。

なのに、病気だから手厚くフォローしろ。

病気で働けないから金も援助しろ。

なんのために生きているのだろうか。

目的はなに?

 

考えることを辞めたらそれはもう人間ではない。

自分にとっては、考えること、知ること、そういう欲求がなくなったらもうそれは。

 

ただ空調の管理されたところで、時間通りに餌が出てきて、食べて寝て。

その繰り返しの日々。

それは人間なのだろうか。

自立できなければ、それは。

 

社会との関わりを絶って。

っていうのなら、山の中にでも籠もればいい。自給自足すればいい。

そんな勇気も努力もなく。

ただ、楽に人と関わらずにいかにタダメシを食っていけるのかそれだけを考えても。

 

そんなので生きている意味はあるのだろうか。

 

だったら、苦しんで苦しんで苦しんで。そうやって生きた方がよっぽど人間らしいような気がする。

悩まなくなるのはいいこと?

他人に敷かれたレールにタダ乗りするのは楽しいの?

 

とっても疑問。

 

病気を理由に努力を辞めて。

なにも変化もなく、ただ停滞しているだけ。

停滞しているだけでは腐る。

水は流れて水になる。

風は吹かれて風になる。

人は揺られて人になる。

人は悩んで考えてそれによって人として存在できているのではないのかなと。

 

そして、苦しみはいつか大きなエネルギーに変わる。

 

過保護になりすぎるのはよくない。

それが今年一年の結論。

 

ゲイであるということもそう。