minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

見えている世界が違う

去年から仲良くなった友人にそう言われた。

見えている世界が違うんだねって。

 

そんなつもりはなかったんだけど、認識する幅が違うということはきっとそういう風にも言えるんだろうなって。

この友人とは距離を置いたけれども。

というよりも、著しい鬱で。

 

そんななかドラマ高嶺の花で、こんなセリフがあった。

 

華道の天賦を持って生まれ、さらに人とは違うものが見える所におられる。

極限の孤独をお持ちになる方だ。

だから、一方で極端になってしまう。

とてつもなく強い反面、あまりにもろく壊れやすい。

 

言っている意味は違う。

こんな偉い立場の人ではない。

だけれども、この言葉がとても響いた。

というよりもとても引っかかった。

 

とてつもなく強い反面、あまりに脆く壊れやすい。

 

恐ろしく繊細。

なのに、とても大胆。

 

最近知り合った人にはこう言われることが多くて。

ものすごくネガティブで繊細。

ガラスの心の持ち主。

だけれども、時折すごい大胆。

 

この二つのことがシンクロして。

なんだかこの1週間モヤモヤとしてる。

 

躁鬱の症状なんだと思うんだけれども。

この極端な性質は。

だけれども、人に見えていない世界が見える。

それが関係しているのだろうか。と。

 

見えている世界が違うんではないんだと思う。

ただ、瞬間的な情報処理が早いから、一緒に歩いていても、あそこに何があったとか、そういうのが把握できるだけ。

同じ場所にいても、あっちであの人が、こっちでこの人がって場を把握しているだけ。

それだけなんだけれども。

 

ただそれだけなんだけど。