minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか。

上映2日。

ヤフーのレビューはひどいことになってる。

でも、そう言われても仕方がないのかもしれない。

 

すっきりしなくて、当時のDVDを見直した。

 

すごくシンプルで、すごく切なくて、すごく綺麗。

 

あ〜、この終わり方!!!

 

って思わず思う良さ。

 

 

 

アニメは、なんでこんなめんどくさいことにしてしまったのかなと。

尺を稼ぐためなのか、オリジナリティを出すためなのか、現代にリメイクするためなのか。

何のために必要だったのかわからないけど、あの終わり方にしてしまっては、打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか。

そんなタイトル必要なくなる終わり方。

 

もっと別のタイトルに変えればいいのに。

 

 

あの映画が好きだった人たちが、楽しんで作ったのかもしれない。

でも、単なる自己満足の映画にしかなっていない。

もしくは、いろんな政治的事情により、とてつもなく中途半端な映画になってしまったのか。

制作側も本意ではないのかもしれない。

 

あの映画が好きな人たちなら、このアニメにはとても満足できないと思う。

 

 

Forever Friends

 

あの曲が流れなければ、なんとも思わない、なにも感じない。

むしろ、アニメーションの表現が嫌いな自分にとっては、気持ち悪い、不快な気持ちにしかならなかったかもしれない。

 

あの曲がすべてを洗い流してくれた。

 

 

 

 

打ち上げ花火と同時上映だった

打ち上げ花火が劇場公開されたとき、もう一本の短編映画と同時上映だった。

undo

強迫性緊縛症候群のお話。
愛の病気。

とはいえ、精神病患者が破綻するまでの話。


打ち上げ花火でピュアだった子供時代を思い出し。
そして、undoで、当時の精神状態をあてはめて。

特にundoには、とても共感して、なきじゃくり。
感情移入が捗りすぎて、自分なのか山口智子の役の感情なのかわからなくなるくらい。

テアトル新宿での出来事。


愛されたくて愛されたくて愛されたくて愛されたくて。
それがエスカレートしていく病気。

それを綺麗な映像と切ない音楽。
山口智子豊川悦司が演じている2人。

 

今でも観るとおかしくなる。

それくらいの映画。

 

多分普通の人には単なる暗くてつまらない映画にしか映らない。

これがわかる人はきっと。 

 

 

岩井俊二の綺麗な映像の世界にはまって、みているんだけど、あの世界観は自分には表現できない。
どうしても、飯田譲治の世界になってしまう。。。

打ち上げ花火の持つ危うさ

一晩経って消化してきた。

 

はじめに言うと、今のアニメーションの表現は中途半端で苦手。

受け入れられないことが多い。

もっとデフォルメした昔のアニメ、もっとお金をかけてリアルを追求した(と言ってもアニメとしての表現の中で)ジブリのような世界。

ならまだ受け入れられる。

CGの世界に近づいているアニメーションの表現はとても苦手。

吹き替えも違和感。

もちろん違和感のない場合もある。

けど、この顔でこの骨格でこの声??と思うことの方が多いし、口の動きと声が合っていないのが中途半端で気持ち悪い。

いわば、全編クロちゃん(安田大サーカスの)が演技しているかのような違和感。

 

 

観たあとは、Forever Friendsに全てを持って行かれて、心をかき乱されたけど、冷静になって思い返すと。

 

 

やはり、あの年頃特有の危うさ。

少年少女の持つ危うさが全編通して消えている。

アニメーションのせいもあるだろうけど、菅田将暉広瀬すずじゃ、もうあの年頃の雰囲気は出せない。

そして、無理矢理話を延ばしたせいか、なんだかしつこい。

パラレルワールド感を出したかったのか、今時にはなってはいる。

だけど。

ifの演出が過剰すぎるし、もっとシンプルで、もっと儚くていいんじゃないのかなと、強く思う。

無理矢理エンターティメント作品にしようとしている気がしてならない。

 

もっと、ひっそりと、とある名も無い小中学生の日常の中に起こった不思議な話。

それをこっそりと覗く。

そんな感じが良かったんじゃないのかなと。

 

あとは、岩井俊二の透明感のある絵とREMEDIOSの透明感のある声。

それが微妙にマッチしていた作品だった。

多分。

 

その微妙さを破壊した作品な気がしてならない。

 

 

今の小中学生の世代には、あのくらいのストーリーにしないと響かないのかもしれないけど。

当時の映像ファンとしては、、、

二次元は愛せない。

 

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

uchiagehanabi.jp/

 

を観てきた。

 

すっごくすっごく迷った挙句観に行くことに。

 

岩井俊二監督が好きで、この映画、当時何度も映画館に通った思い出。

テアトル新宿に何回も。

 

 

DVDも買って、サントラも買って。

それだけ思い入れがある映画のアニメ化、ということですごく迷った。

 

今のアニメーションの表現は苦手で、好きになれない。

しかも声優ではなく、俳優が。

この時点で拒絶反応。

 

でも、REMEDIOSのサントラ。

それを頼みに観に行った。

実際には、”Forever Friends”だけで、あとはオリジナルだったが。

 

 

映画を見ていても、実写のシーンが思い浮かぶ

もう何年も見ていないのに、それでも思い浮かぶ

奥菜恵の顔。

山崎裕太の演技。

そして、小橋賢児の表情。

 

途中までは。

途中からは、オリジナルの脚本。

もともと短編の話で、それを一本の映画にするということで、尺が足りなかったのだろう。

 

ストーリーも別物。

菅田将暉の声には違和感あるし、なずなの声も。

 

実写のシーンにそっくりなシーンが出てきたり、懐かしさはある。

だけど、アニメーションの表現が、全て苦手。

風景のシーンは平気。

人が出てくると、もう。

 

リアルを求めているのか、今の技術というか表現の中途半端さがとても気持ち悪い。

 

それと、小中学生の危うい表情、感情が、アニメでは表現できていないと思う。

 

歳のせいか、実写がいいと思ってしまう。

 

 

ということで、映画は醒めて見ていた。

だから、まさか泣くとは思わなかった。

 

forever friendsが流れてきたときに、一気に。

感情が溢れ出して号泣。

 

映画をみて感動ではなくて、映画に触発されて、forever friendsが引き金となって、まだ純粋だった頃を思い出して。

忘れていた思いが一気に溢れ出した。

 

 

 

イマジネーションの欠如

牛乳石鹸」広告が炎上、「もう買わない」の声 「意味不明」「ただただ不快」批判殺到

https://www.j-cast.com/2017/08/16306004.html?p=all

 

 

元の動画はみていないけど、この内容でここまで批判されるのってよくわからないというか、怖い。

批判しているのは、主婦がメインなのだろうが、これ、働いている立場からしてみたら、とてもよくわかる。

それと牛乳石鹸は結びつかないし、広告としては、ターゲット像の設定を間違えたのではないかともおもうけど、家族ってそんな大事なのだろうか?

何よりも優先するべきものなのだろうか。

会社において、職場に置いて、部下を始める同僚が落ち込んでいたら、円滑に進めるために、飲みに行って慰める、話を聞く。

それは子供の誕生日と比較するべきものではないと思う。

家庭の顔と職場の顔。

人はそれぞれ演じている部分があって、二つの顔を同時に満たすことはできないわけで。

 

どちらが大切なのか。

そんなことを聞いてくる人がいるけど、それはナンセンス。

立場が違うから。

 

 

それにしても何よりも怖いのが、これに対してクレームをつけている人々。

働いている父親を応援するっていっているのに、その対象ではない人たちがクレームをつける。

自分の主義主張とあわないからと目に入ったものにクレームをつける。

人はそれぞれいろんな立場であって、いろんな状況がある。

とある男性の日常を描いたものがここまで批判されるというのは本当に意味がわからない。

実際にこういう人がいて、そういう人に対してお前は不快だって言っているようなもの。

これ、広告の表現だからここまで炎上するの?

それともこれがドラマや映画でも同じ?

 

何にしても、いちゃもんをつけているだけにしか見えないし、そもそも相手を思いやる気持ちも、相手の立場を想像するイマジネーションもない。

 

日本人って本当にバカなんだなって思う。

昔に比べて想像力が恐ろしく欠乏していると。

 

 

 

 

 

性暴力という表現への違和感

性暴力の実態知って 中高生の声届ける 18、19日に「私たちは『買われた』展」(琉球新報) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170814-00000009-ryu-oki @YahooNewsTopics

 

https://www.colabo-official.net/企画展-私たちは-買われた-展/

 

 

正直気持ち悪い。

何を被害者ヅラしているのだろうかと思う。

販売しているのは誰?

無理矢理されたのなら、レイプなら、性暴力と言えると思う。

でも、売っているのなら、ある意味和姦。

対価として、金をもらっているんでしょう?

ビジネスとして成立しているんじゃないの?

それなのに、性暴力って表現は何?

被害者ビジネスを始めるつもり?

まだ、搾取するの?

体を売って、金をもらい、被害者として表にでて、また金を揺するの?

それ恐喝?

 

 

ホームページ拝見しました。

 

行くところがなくて、何も食べていなくて、救いの手を差し伸べてくれたのが男性だった。

それで。

 

なんで行くところがなかったの?

誘惑に安易に乗っただけでしょう?

 

 

体を売る前の背景を知ってほしい。

だから何?

それ、体を売ることの理由にはならないから。

 

対価として金をもらっている。

これ、もう何も言えないことだよね。

 

道具として使われて捨てられた。

道に放り捨てられた。

山中に捨てられた。

体一つで。

 

それならわかる。

 

金貰っておいて、何を。

 

こういう被害者ヅラしたやつら本当に嫌い。

苦しんでいるのは自分だけではない。

どうしたらいいのか考えてみたら?

 

 

毒ヘビがいる部屋に自分から入っていって、噛まれました。

っていって、毒ヘビを訴えるの?

そんなの想定できることでしょう?

 

そこしか逃げ道がなかった。

他の道を考えた?

安易に逃げ込んだだけでしょう?

 

 

何を甘えたことをいってんの?

 

 

 

 

 

 

エンパスの描かれ方

ずっと気になっていた海外ドラマ。

ネットで気軽に見られるようになって最近ずっと見ている。

FRINGE

http://www.superdramatv.com/line/fringe/

 

なんで日本にこういうドラマないんだろう。

と単純に思う。

制作費の問題なのかもしれないし、脚本家の知識の差なのかもしれないし、国民性の違いかもしれないし。

 

その中でエンパスが描かれている。

 

もう十年も前に始まったドラマにエンパスが出ているのが、日本との違いだなと思う。

ただ、取り上げ方がまるで超能力。

主題にするのなら、たしかにオーバーに描かなければつまらない脚本になってしまうのかもしれない。

でも、それだけなのかなとずっと考えていた。

 

エンパス。

共感能力。

 

自分の感情と他人の感情の区別がつかなくなる。

他人の感情に影響される。

 

こう書くと普通の人ではないと思うかもしれないけど、やたらと空気を読む日本人は結構な数この手の能力があるのだと思う。

もしかしたら霊能力と呼ばれる人の中にはこの力な人もいるんじゃないかなと。

 

空気を読んで自分の意見を殺す。

周りの雰囲気に合わせる。

些細なことかもしれないけど、これがエンパスの初歩的なところだと思う。

 

そして、それが苦手な海外の人にとってはとても不思議な力に移るのかもしれないと。

だから海外の方が研究が進んでいるのかもしれない。