minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

もう一歩踏み込む

中3の時にレイプされて中で出されて。

女の子なら妊娠していたかもしれない。

男同士その心配はいらない。

レイプされた相手は、東南アジア系の外国人。

片言の日本語で道を聞かれて、それに対応しようとしたのが運の尽き。

 

 

1991年。
マジックジョンソンが引退した年。

 

HIVは日本ではまだ死ぬ病気として認識されていた当時。

 

なにも知識がない中学生にとって、外国の男に犯されて中出しされたというのは、この病気を意識させるのに充分で。

同性愛行為で感染するという知識はあった。

外国で流行っているという知識もあった。

そして、治療薬がなくて、潜伏期間は10年程度。


感染から10年くらいしたら発症して死ぬものだと思っていた。
どこかで。

25歳には死ぬのだと。

 

誰にも相談なんてできやしない。

レイプされたことも、もしかしたら感染したことも。

そして、うつになっていく。

確かめるすべもなく。

事実を知るのも怖く。

うちにうちに籠る。

 

 

そして、求められるままに体を提供して、慰み者になって、依代として悪いものをすべて持って死のうと思っていた。

 

なのに、死ねなかった。

死にたかった。

 

そして、25年が経った。