minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

LGBT当事者として

LGBT当事者としてふと疑問に思うことがある。

税金を投入して支援を行う。

一体どんな支援をしているのだろうか?

何も知らない。

 

LGBTとして特別な支援をしてもらいたいなんて思ったことはない。

思ってもいない。

権利権利と主張をしている団体にも理解はない。

 

彼女の言うこともわからないこともない。

成長過程で同性に惹かれる。

その過程を乗り越えてそれぞれ異性と付き合うようになる。

そういう人が多いとは思う。

その過程において、同性愛者という生き方を知ってしまうと、そこで止まってしまう人も少なからずいる。

 

知識は使い方によって毒にもなる。

 

それを言いたいのだろうけれども、この人の言い方はまったくもって理解したくもない。

言葉のセレクトのセンスがない。

 

 

LGBTとして生きていて、パートナーなのに、十数年間いっしょに生活をしているのに、危篤の時に病室には入れない。

家族ではないから。

そういうことを同性のパートナーでも認めてということをシステムに組み込んで欲しいとは思う。

それは特別扱いなのだろうか。

 

人と人がパートナーになって長年連れ添って。

でも、戸籍上家族ではないから死に目には会えない。

なにかの時には赤の他人扱いされる。

 

それは、今までのマイノリティの人たちが作った婚姻届という仕組みの問題であって、その問題を解決してほしいというのはダメなことなのだろうか。

子供が産めないのならそれはいけないのだろうか。

 

どんなシステムでも長年使っていれば、状況に合わなくなることはある。

それをアップデートしていくのがそんなに悪いことなのだろうか。

それともアップデートにマイノリティの意見を反映するのがいけないことなのだろうか。

 

 

この人の言っている税金での支援って一体なんのことなのだろうか。

この仕組みとは違うところで支援されているのだろうか。

何も感じたことはない。