minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

私は絶対許さない

映画“私は絶対許さない”を観た。

 

http://watashihazettaiyurusanai.com

 

時間が経ち、少し落ち着いてきたので、感想を書いてみる。

 

 

15歳でレイプされた少女のその後の話。

 

自分も15歳でレイプされた。

それから散々な思いをしてきて今に至る。

この映画の説明を読んだ時に、これは自分の映画だと思って、気軽な気持ちで観に行った。

当時のことは、最初にレイプされている最中のことは、未だに覚えてはいない。

記憶は抜け落ちて。

 

でも、なんとなく消化してきていて、もう大丈夫だろうと。

過去と正面から向き合ってみようとも思って。

精神科医でもある和田監督が描くというのも興味があった。

 

 

被害者の主観映像で進行していく映画。

レイプされているシーンも主観。

性の欲望に、悪魔に乗っ取られたかのような男たち。

なんとも言えない感覚。

あの顔。

あの見え方。

 

 

でも、このシーン自体はなんてことなく、過ぎ去る。

それからの彼女の生き方が、とても痛くて。

 

 

15歳の元旦、私は死んだ

 

 

このキャッチコピーが痛くて。

男と女。

ディテールは全然違う。

だけど、こんなに痛い思いをして人の話を聞いたのは、観たのは初めてかもしれない。

 

心身ともに穢れて。

生きていてはいけないと感じて。

自殺してはいけないという洗脳にかかっていたので、リストカットすらしなかったけど。

道の外し方は違うけど、似たような気持ち。

 

彼女は死んだと感じて。

自分はもう死ぬと感じて。

 

 

誰にも話せない。

誰もわかってくれない。

男に抱かれるなんて、嫌だったはずなのに、結局わかってくれるのは、というよりも、受け入れてくれるのはそういう人たち。

だから、セックスに溺れていく。

男に溺れていく。

いつしか感じるようになって、いつしか男が気持ちよくなってくれるのが嬉しくなって。

それが生きがいだと感じて。

それだけしか存在価値はないと感じて。

 

彼女はお金をもらっていたし、風俗に身を委ねた。

自分も女だったら、おそらく風俗嬢になっていた。

けど、男だったから。

女の代わりにだかれる慰み者だったから。

お金なんてもらわなかったし、もらいたくなかったし。

 

リストカットではなくて、もう穢れた存在で、10年後には死んでいるんだと思ったから、欲望に身を委ねて、男たちのはけ口になって、

世の不浄をすべて受け止めて死んで行こうとおもった。

だから求められれば抱かれた。

 

人形流しで流される人形のように。

依代として。

 

最初のレイプの記憶はない。

けども、それ以降の記憶はある。

女の代わりに性のはけ口にされる。

その時にみた風景が、冒頭のレイプシーンにシンクロして。

シーンの中で飛び交う言葉が、シンクロして。

 

その後のシーンでフラッシュバックのように映像が流れるのが、まさに現実にあって。

自分が自分ではないと感じて、どこか冷静で自分の行動を見ていて。

それが、映画では、死んだ少女が幽霊のごとく現れて冷静に問いかけて。

 

シーンが進めば進むほどつらくて。

 

 

看護師になりたい気持ちもわかる。

自分は医師になりたかった。

精神科医に。

 

そして、昼は看護師をしながら現在の夜の仕事もよくわかる。

たぶん、それは離れられない。

逃れられない宿命。

 

 

映画を見終わった後、席を立ち、映画館を出て、頭の中に薄い膜が張ったように。

酒を一滴も飲んでないのに、まっすぐ歩けなくて。

息苦しくて。

吐きそうで。

パニックになって。

自分の経験と、彼女の経験がシンクロして、彼女の人格すら投影して。

 

まだ面と向かって過去に対峙することはできないみたいだ。

 

 

 

2日経って、今こうして書いているけれども。

普通の人には、彼女の進路の揺らめきは理解できないんじゃないかなと思う。

小説を読めばわかるのかもしれないけど、映画では、時間の関係なのか、プツプツと飛んでいる。

普通の人は何を思うのだろう。

 

小説を読んでみたい気もするけど、てはだせない。

そして、彼女が今もこれからも元気でいてくれることを望む。

 

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