minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

なんとか統合しました

‪40代独身男は「理想の男性像」に滅ぼされる(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170810-00183817-toyo-soci @YahooNewsTopics‬

 

 

なんとか。

もう一つの人格をコントロール

そして、もう一つのブログを終了。

 

死は身近なもの。

 

 

 

匿名性の高いブログ。
レイプされたりLGBTになったり、いろいろと書いているけど、まだ書けないでいる闇がある。

どこまで持っていけばいいのかわからない。

けど、抱え込むのに疲れてしまった。

 

もう何も。

 

どうでもよくて。

何もかもが。

 

15歳の夏から、抱えていた悩み。

誰にも話せず。

誰にも頼れず。

死にたい気持ちと常に表裏一体で。

なんとか対処方法をもって生きてきた。

 

けど、なんだか疲れてしまった。

このおかげで、誰にも本音は話せず。

人と仲良くなることを恐れ。

常に壁を作ってきて。

 

25年。

こじれにこじれてしまったみたいだ。

 

救いを求めた新天地は、全然想像とは違って。

 

結局人間は変わらない。

人格の使い分けにも疲れてしまった。

 

フラッシュバックや偏頭痛、体温のコントロールができなくなったり、頭が重たくてぼーっとしていたり。

そんなのも全部疲れた。

 

 

人格統合。

現実と向き合えなくて、別人格を作り上げて、切り離していた部分。

それを受け入れて楽になれるなら楽になりたい。

うまくいかなくて、精神障害で精神病棟に入院するんでも、すべて忘れられるならそれでいい。

安楽死が許されるなら、それを望みたい。

 

このまま地面に倒れて地中に溶け込みたい。

木の中に入って眠りたい。

意識の殻に閉じこもって二度と目覚めたくはない。

自然の原理に反しているのなら、存在してはいけないのなら、消して欲しい。

 

弱い人間でいい。

だから消えたい。

 

人間は苦しんだぶんだけ強くなれる。

そんな言葉を信じてきたけど、それもマヤカシ。もしくは苦しみがまだまだ足りない。

これ以上はもう無理。

 

 

 

 

 

 

 

身辺整理

死にたい。
死にたい。
そう言ってるうちは死なない。
助けて欲しいから、助かりたいからそう言ってるだけ。

自殺を考えた時、いなくなろうと思った時、何も言わなくなる。


一度だけ経験がある。
小さい頃から自殺はしてはいけない。
そう教え込まれてきたから、死にたいと考えるよりも消えたいと考えるようにしていたし、自殺はしちゃいけない。
その刷り込みから逃れることはできなかった。

だけど、数年前に一度。
もう八方塞がりでどうにもならずに、死のうって考えた。
結局死ななかったけど。

死ぬにあたって、身辺整理をしなければと、荷物の整理とかしていて、片付けていたら、なんとなく死ぬ気がなくなった。
遺書はもともと残すつもりなんてなかったし、書くこともなかったけど、多分。


今でも多分自殺はしない。
できない。
消えてしまいたいとは思うけど。

よく考えたら、この自殺のタイミングかな。
ブログなりなんなりで、匿名だけど、生きた証を残しておこうって思ったのは。
そして、そこから同じ思いをしている人がいるのなら、力になりたいと考えるようになった。
けど、結局何にもできていない。
これから先も何もできないのかもしれない。


何がしたいのかもわからない。
また身辺整理をしてみれば見えてくるのだろうか。

宗教が絶対

宗教の関係で、これはNGなんです。

これは、宗教の教えで。

 

宗教を出せば、なんでも許されるのだろうか。

 

自分の価値観、考え、それにエッセンスを加える程度のものならいいのだけれども。

宗教に支配されて生きている人たち。

 

自分の主義主張。

それと宗教の教え。

両者が食い違った時に、どういう判断をするのだろうか。

 

神の教えは絶対だから、自分の価値観や考えを矯正するのか。

それとも改宗するのか。

 

圧倒的に前者だと想像される。

 

宗教なんて一つじゃないし、価値観だって一つじゃないのに。

 

その宗教の教えは本当に正しいのか。

そう疑問に思ったりはしないのだろうか。

 

神のことば。

これは、誰かが書いた言葉にすぎない。

歴史が勝者によって改変されてきたように、宗教の教えだって、その時々によって、解釈を変えてきた。

なのに。

 

認める

LGBTを認める」と言う人も「LGBTを認めない」と言う人も、同時に受け入れる寛容な社会であって欲しい。

「“LGBTを認めない”という人を一方的に叩く」一部の人々には同調できない。

 

同じくYahoo!ニュースのコメント欄に書かれていた内容。

とても難しい。

いくら考えても理解ができない。

 

LGBTを認めると言う人を”A”とする。

LGBTを認めないと言う人を”B”とする。

LGBTを”C”とする。

 

AとCは共存できる。

AとBも共存できる。

だけど、AとBとCが共存できる社会は存在するのか。

 

BとCが同じ空間にいたとして、BはCに対してどういう態度を取る?

存在を認めないそういう人と同じ空間にいて。

その空間から出られるのなら出るのではないだろうか?

もしくは、追い出すのではないだろうか?

 

同時に受け入れる寛容な社会。

この人の本意は、Cは疎外したAとBの社会なんではないだろうか。

近くにAがいるのはいい。だけどCにはいて欲しくはない。

 

LGBTを認めないという人を一方的に叩く一部の人々には同調できない。

これ自体は同意見。

 

だけど、認めないという人は何もしていないの?

 

存在を否定することを言ったりしたりしてるんじゃないの?

無意識のうちに。