minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

認める

LGBTを認める」と言う人も「LGBTを認めない」と言う人も、同時に受け入れる寛容な社会であって欲しい。

「“LGBTを認めない”という人を一方的に叩く」一部の人々には同調できない。

 

同じくYahoo!ニュースのコメント欄に書かれていた内容。

とても難しい。

いくら考えても理解ができない。

 

LGBTを認めると言う人を”A”とする。

LGBTを認めないと言う人を”B”とする。

LGBTを”C”とする。

 

AとCは共存できる。

AとBも共存できる。

だけど、AとBとCが共存できる社会は存在するのか。

 

BとCが同じ空間にいたとして、BはCに対してどういう態度を取る?

存在を認めないそういう人と同じ空間にいて。

その空間から出られるのなら出るのではないだろうか?

もしくは、追い出すのではないだろうか?

 

同時に受け入れる寛容な社会。

この人の本意は、Cは疎外したAとBの社会なんではないだろうか。

近くにAがいるのはいい。だけどCにはいて欲しくはない。

 

LGBTを認めないという人を一方的に叩く一部の人々には同調できない。

これ自体は同意見。

 

だけど、認めないという人は何もしていないの?

 

存在を否定することを言ったりしたりしてるんじゃないの?

無意識のうちに。