minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

多様な価値観

昔は、みんな同じ価値観の中で生活してきた。

だから、人と違うというのは、とても怖いことで、自分を殺して無理をしていた。
高校卒業して、大学に進学して、一生勤められる会社に就職して。
結婚して、子供を作って、夕飯は家族団らんで。
テレビが唯一の娯楽で、チャンネル争いなんてあったりするくらい。
テレビを見ていないと学校でいじめられる。もしくは仲間外れにされるくらい、テレビというコンテンツは大きな役割を果たしてきた。

 

みんながいいというものが良いもの。
だから、メガヒットした音楽なんてものがたくさんあった。
みんなが歌える歌があった。
バブルの頃まではそうだったのだろう。

 

いつからか、いろいろな価値観を打ち出してきた。
テレビをにしろ雑誌にしろ。
モノが売れなくなってきて、視聴率を取るために。
珍しいもの、変わった人たちにフォーカスをあてて。

 

それは、流行に流されないハイセンスな人たちもそうだし、障害者をはじめとした社会的弱者も含めて。
そうすると、ライフスタイルも全然変わって来る。

 

自分はゲイだから、LGBTの話をすると、昔はそれほどいなかった。
潜在的にはいたのかもしれないけど、今ほどゲイという人たちはいなかった。
なぜなら、ゲイである=いじめの対象だったから、みんな隠して生きてきた。
親が結婚しろとうるさくいうから、結婚を余儀なくされた人たちだっている。

 

今はストレートな人たちだって結婚しない時代。
結婚しないから、ゲイなのじゃないかという変な噂もそうそう起きないだろう。
だから、無理しないでゲイだと自称する。
というよりは、バイセクシャルが増えたのかもしれない。
女の子が好きだけど、男にも興味がある。
若い子20代にはその傾向が強い気がする。

 

おしゃれ、に見えるというのもあるのかもしれない。
ゲイはおしゃれ。
そんなざっくりとした価値観。
そして、ジェンダーレスが増えてきているからファッションとしてのゲイを受け入れる。
それはそれで、ゲイに対して失礼な話。

 

NYのアートシーンなんて、ゲイじゃないとみとめてくれない逆差別だってあるくらい。
日本人で向こうに渡って、本当は女の子が好きなんだけど、ゲイだと自称していた人もしっている。
ゲイの人が、日本の男社会で、無理やり風俗に連れて行かれるような苦しみを逆にあじわっている。

 

悪気はない。
のはわかっている。
仲良くなるために、自分にとって、良いこと嬉しいことをシェアしようとしているだけ。
だけど、価値観が違う人にとってはそれは押し付けられただけ。
苦痛でしかない。
それがわからない人たちがいる。

ノンケの男で風俗好きで、っていう人は、まだマイノリティだし、わからなくはない。
だけど、ゲイという差別を受けてきた人たちが、マイノリティになったとたんに、ゲイという価値観がないとセンスがない、という判断をするのはいかがなものかと、同じ側の人間として思う。

 

経験をしたことがないことは、想像ができない。
そういう人がいるのは知っているけど、身近にはいて欲しくない
多様性を認めるという発言をしている人たちだって、自分と関係ないところでの話だから。
いざ身近にいるとなると、なんらかの理由をつけて、遠ざけようとする
ゲイということを理由に解雇はできない。
だから粗探しをして、他の理由をつけて辞めさせる。
そんな話だって未だに聞く。


理解をしてほしいとは決して思わない。
だから安易にわかると言われてもそれはそれで腹が立つこともある。
望むことは否定をしないこと。
そういう生き方もあるんだね、というスタンスで受け入れも否定もしないこと。
これが一番かも。
受け入れられない=拒絶ではないという判断のもとで。