minority’s diary

ゲイなギフテッドの自己記録

LGBTとロリコン、ショタ

LGBTを認めるなら、ロリコンも認めろ。

そんな書き込みを見かけることがある。

今日もYahoo!ニュースのコメント欄で見かけた。

 

LGBT小児性愛は、性癖という意味では同じだと思う。

だけれども、これだけは言いたい。

 

分別のつく大人同士が、同じ嗜好同士で恋愛する。SEXをする。そんなLGBTと、

分別のつかない子供を相手にする小児性愛では大きな違いがある。

 

子供時代にレイプされた身からすると、とても大きな違い。

これは大きく違う。

 

何もわからぬまま、レイプされ、その後の人生メチャクチャにされた。

 

分別のつく大人同士が自ら選択したケースとは違う。

 

なのに、単純にLGBTを認めるならロリコンも認めろというのは、許せない。

二次元の世界でだけならいいけど。

 

ショタも同じ。

LGBTでも、小児性愛として、男の子が好きな人もいる。

これはアウト。

妄想だけにしておいてほしい。

 

みんなと同じ

なんで、日本って社会は、みんな同じであろうとするのだろう。
一人一人違うのに。
他人と同じで安心しようとする。
それどころか、他人よりも上にいるということで安心しようとしている。
羨望の眼差しで見られることに快感を覚える。
承認欲求が満たされるのだとは思うけど。


誰かがいいといったものが、いつしかみんなも良いと言い。
誰かがダメだと行ったら、その考えをみんなにも強要する。

日本だけの問題ではないのかもしれないけど。


就業規則
各社独自で決めて良いだろうに、なぜかみんな横並び。

始業時間に就業時間。
ましてやプレミアムフライデーとかいうおかしな仕組み。

始業時間がバラバラでも、昼休みはなぜか大体12時-13時。

あそこの家の子が私立中学を受験するらしい。
だったら我が家も。

サッカーが面白い。
そう言えば、ルールなんてわからなくても、ノリだけで応援する。
深夜の渋谷に集まる

ラグビー、将棋、次々にブームはやってきてさっていく。
自分はないの?

 

わけわからん。

 

 

ボトルメール

ブログは、思考の整理と毒の吐き出しと、誰に届くかもわからないボトルメール並みのことだけど、
同じことで悩んでいる人がいれば、少しでも何か伝われば。
誰にも頼れない苦しみは10代にはキツい。

 

ずっとこんなこと、非公開で誰にも見せずにひた隠してきたこと。
誰にも言えずに。
だけど、それでは世の中から消えてなくなるだけ。
問題提起まで行かなくても、何かしら同じ悩みを抱えた人に届けば。
だから、文章としてまとまっていなくても、何かしら垂れ流していた方がいいのかもしれないと。

 

同じ悩みを抱えた人がどれくらいいるのかすら未知だし、果たして届くのかどうかもわからないけど。
そういう意味では自己満足で、自己整理なだけ。

 

それでもいいかなと。

 

20歳の頃。

体調不良で病院に行った。

即入院。

死にかける一歩手前だったと。

 

医者に我慢しすぎと言われたのだけど、我慢しているつもりなんてなくて。

それが日常だったから。

無理なんてしてなくて。

 

それからは感情を解放しようと思ったけど、その後も数回死にかけてるし、どうなんだろう。

人格

多重人格。

性別が変わったり、年齢が変わったり、国籍が変わったり。

そんなところまではいかない。

 

けど、人格を使い分けて生きてきた。

場所場所で。

誰に対するのかで。

 

SNSのアカウント、メールアドレス、同時に複数なんて当たり前で。

だからFacebookは合わない。

 

10代のころに始まった使い分け。

気がつけば、どんどん増えて行って、数年前には、ごちゃごちゃに。

そして、管理しきれなくなった。

 

だから、統一を図ろうと整理している。

 

今までは、このことに対して、発言するのはこのアカウント。

あのことは、こっちのアカウント。

そうやって分けてきたけど、収拾がつかなくなって、分裂しそうになったから、整理。

 

分裂することによって、傷も減らしてこれた。

ゲイでの世界のことで傷ついても、仕事の人格に切り替えれば、忘れられた。

それが、統合することによって、いろんなことがプチパニック。

 

本当の自分って何?

 

BUCK-TICK

BUCK-TICKの詩の世界。

今は知らない。

けど、自分が学生の頃。

90年代はとても優しい世界だった。

闇を抱えている人には優しいと思う。

 

人は正しいことでだけ、ポジティブなことでだけ救われるわけではないということが実感できたこと。

トラウマ

トラウマを持った人間は、その原因から離れればいい。

そう簡単にアドバイスをしてくる人たちがいる。

 

頭で考えても、その通りに動ければそんなに楽なことはない。

 

トラウマを持った人間は、そのトラウマの原因から離れられない。

むしろ、傷つくのはわかっていて、その場所に向かうほど。

それしか生き方がわからないから。

理論上ではわかる。

だけど、感情は理解できない。

 

傷つくのは予測つく。

だけど、そこに行って誰かに傷つけられるのか、何かを思い出して心を痛めるのか、それはわからないけど、その人にとっては、逃れられない呪縛がある。

離れると傷つくどころか崩壊するのではないかという恐怖。

捨てられるのではないか。

全部なくなるのではないか。

 

その場所に、その人に依存してしまう。

だから離れられない。

 

人の心は理屈では動かない。

カウンセラー

こんなことになってしまってどうしたらいいんだ。

そう悩んでいた中学時代、高校時代。

ひたすら心理学やら精神科の本を読んだ。

だから、精神科に行っても、問診の時に、これは、このことを知りたいんだなと、意図がわかるから、それに合わせた答えをする。

それができるくらいに、典型的な質問しかしてこない。

教科書に載ってるようなこと。

 

嫌な子供。

でも、誰にも頼れないから、そうするしかなかった。

結局出た結論は、精神科医を利用すること。

自分では出せない薬の処方箋を書いてもらうために。

 

精神科、心療内科メンタルクリニック、カウンセリング。

結構な数を回ったと思う。

この病気の辛いところは、信頼関係が築けるかどうか。

だから、それができなければどうにもならない。

 

鬱病という、病気の捉え方についても、いろんな考えのところにかかった。

鬱病は必ず治せる。

そう広告をしているところ。

 

具体的に病院名は出さないが、鬱病は患者は、自分で鬱病という暗示をかけて、自分で悪化させていると。

だから、鬱病だと思わなければいい。意識しなければいい。

そう言い放つ。

それは確かひとつの方法だとはおもう。

だけど、患者の話は聞かずに、全部その論調だけを強く押してくる。

一回話を聞きに行って、2回目はなかった。

信用できなかったから。

 

カウンセリングについても調べた。

同性愛 カウンセリング

で検索するとわかる。

同性愛は病気だから、治しましょう。

そう掲げているところがどれほど多いか。

そんなところには、まず行けない。

病気だからと取り合ってすらもらえないだろう。

 

何箇所にカウンセリングを受けに行った時にも、事前にメールで問い合わせをした。

lgbtに対しての見解をきくために。

それで一箇所には数回通った。

レイプされてからの一連のことも話した。

けど、金銭的な理由で通えなくなった。

 

カウンセリングが必要になるほど切羽詰まった時。

仕事を失っていた時でもあったので、金銭的に通えなくなった。

 

 

カウンセラーを探している時に、lgbtに対しての見解を調べるのなら、いっそゲイのカウンセラーを。

と思って、問い合わせをしたところがある。

今でも看板を掲げているが、とんでもなかった。

会ってはいない。

メールのやりとりだけ。

テレビにも出たりしていたので、忙しかったのか、受け答えがどう考えても、あなたはカウンセラーではなくてカウンセリングを受ける必要のある側の人ですよね?

って思うほどのコミュニケーションが取れない人。

問題外として行かなかった。

 

 

今は正社員として働いている。

金銭的には余裕はない。

けど、カウンセリングに通える程度のお金なら捻出できるかもしれない。

だけど、一から信頼関係を築くのは、考えただけでもゾッとする。

そして、lgbtが病気だと公言しているカウンセラーには辟易としている。