カウンセラー
こんなことになってしまってどうしたらいいんだ。
そう悩んでいた中学時代、高校時代。
ひたすら心理学やら精神科の本を読んだ。
だから、精神科に行っても、問診の時に、これは、このことを知りたいんだなと、意図がわかるから、それに合わせた答えをする。
それができるくらいに、典型的な質問しかしてこない。
教科書に載ってるようなこと。
嫌な子供。
でも、誰にも頼れないから、そうするしかなかった。
結局出た結論は、精神科医を利用すること。
自分では出せない薬の処方箋を書いてもらうために。
結構な数を回ったと思う。
この病気の辛いところは、信頼関係が築けるかどうか。
だから、それができなければどうにもならない。
鬱病という、病気の捉え方についても、いろんな考えのところにかかった。
鬱病は必ず治せる。
そう広告をしているところ。
具体的に病院名は出さないが、鬱病は患者は、自分で鬱病という暗示をかけて、自分で悪化させていると。
だから、鬱病だと思わなければいい。意識しなければいい。
そう言い放つ。
それは確かひとつの方法だとはおもう。
だけど、患者の話は聞かずに、全部その論調だけを強く押してくる。
一回話を聞きに行って、2回目はなかった。
信用できなかったから。
カウンセリングについても調べた。
同性愛 カウンセリング
で検索するとわかる。
同性愛は病気だから、治しましょう。
そう掲げているところがどれほど多いか。
そんなところには、まず行けない。
病気だからと取り合ってすらもらえないだろう。
何箇所にカウンセリングを受けに行った時にも、事前にメールで問い合わせをした。
lgbtに対しての見解をきくために。
それで一箇所には数回通った。
レイプされてからの一連のことも話した。
けど、金銭的な理由で通えなくなった。
カウンセリングが必要になるほど切羽詰まった時。
仕事を失っていた時でもあったので、金銭的に通えなくなった。
カウンセラーを探している時に、lgbtに対しての見解を調べるのなら、いっそゲイのカウンセラーを。
と思って、問い合わせをしたところがある。
今でも看板を掲げているが、とんでもなかった。
会ってはいない。
メールのやりとりだけ。
テレビにも出たりしていたので、忙しかったのか、受け答えがどう考えても、あなたはカウンセラーではなくてカウンセリングを受ける必要のある側の人ですよね?
って思うほどのコミュニケーションが取れない人。
問題外として行かなかった。
今は正社員として働いている。
金銭的には余裕はない。
けど、カウンセリングに通える程度のお金なら捻出できるかもしれない。
だけど、一から信頼関係を築くのは、考えただけでもゾッとする。
そして、lgbtが病気だと公言しているカウンセラーには辟易としている。
抗不安薬
高校時代から、ごまかしごまかし、薬を飲んできた。
本当のことなんて、精神科に言っても話せない。
だから、適当に、理由はないけど、死にたいって言って。
抗不安薬を処方してもらってた。
デパス錠。
大学に入って、しばらく精神科とも距離を置いて、薬は飲んでいなかったと思う。
すぐにまた飲むようになるのだが。
高校時代は精神科。
大学に入った頃には、心療内科などができ始めて、メンタルクリニックなど、いろんな専門医ができてきた。
20代。
社会人として働きながら、定期的に通っていたのかどうかも覚えていない。
でも、辛くなるとなんだかんだ理由をつけて薬をもらっていた。
新卒で入った会社にいた頃も、3年目くらいには辛いことがあって、メンタルクリニックに通っていた。
本当のことなんて言えない。
本当のことを話すには、まずゲイですとカミングアウトしなければならないから。
だから、話せない。
適当に理由を作って薬をもらっていた。
ずっとデパス。
新卒の会社は、その時に上司になった人からのパワハラで辞めることになるんだけど、それも含めてデパスにたよっていた。
常にデパスを飲んで、持ち歩いて。
夜な夜なクラブに遊びに言って、始発で帰る。
そんな生活をしていた。
お酒もタバコも。
合法ドラッグと呼ばれているものはとても身近にあって、今みたいに取締りの対象ではなかった頃。
対象ではなかったと言うよりも対象にできなかったというほうが正確なのかな。
乱れた生活。
そんな生活をしていて、家に帰ったり帰らなかったり。
デパスは常にバッグの中。
とある時に、クラブに行って、入場後にクロークに荷物を預けた。
当時は、大きな荷物は持ち歩くと邪魔だから、小銭とタバコ。それらが入る程度のバッグを持ち歩いていた。
美容師さんがハサミなどを入れるような腰に巻くバッグ。
しばらくして、デパスが手元にないことに気がついて、軽くパニック。
無いということに不安がどんどん膨らんで。
どうにもならなくなって、すぐに出た気がする。
完全に依存していた。
飲む飲まないではなくて、持っていることに対しての安心感。
いざとなったら飲めば安心できる。
そんなお守りがなくなってパニック。
それ以来デパスは怖くなって、辞めた。
今では、パキシル。
当初はドグマチールと組み合わせていたのだが、ドグマチールは効果があるのかわからずに辞めた。
パキシルは、辞めたいんだけど、長く常用しすぎて、自己判断で辞めたら離脱症状が出てしまい。
結局飲んでいる。
今は、精神科医に相談しながら、少なくする方向にする予定だけれども、結局なんだかんだと定期的に飲まざるを得ないことがあって、減らない。
睡眠障害で、睡眠導入剤を処方されているんだけども、合う薬がなくて、デパスを処方されてはいる。
デパスは怖いから嫌だということで頓服で。
でも、結局口にするのが怖くて、飲んでいない。
モノ
笑顔が足りない。
よくそう言われる。
写真に写る時はほぼ真顔。
怖い人だと思われる。
だけど、仕方ない。
笑い方なんて無くした。
笑顔なんて必要なかった。
昨日久しぶりに感情を無くした。
PTSD症状が突発的に現れた。
再発なのか、別な急性ストレス障害なのか。
記憶が曖昧になる。
心が消える。
何も感じなくなる。
ものを持つ手が震える。
笑い声が恐怖にしか感じなくなる。
笑顔を無くしたものにとって、笑うという感情は何よりの恐怖だったりする。
記憶をなくして自己防衛をするのか。
積極性はなくなり。
単なるモノ、物体になる。
生きたい、とか、死にたい、とか、消えたい、とか、食べたい、とか。
そういう感情は何もなくなって、単なる器になる。
泣きたいはずなのに、涙すら出ない。
何もない。
無。
空虚。
虚。
現実感がなくなる。
疲れて、そのまま地面に横になりたくなる。
どうでもいいというのともちょっとちがう。
風にあたる。
雨に打たれる。
そのまま地面に同化できるのなら。
要らなくなったモノを捨てるのと同じで、体を捨てたくなる。
障害者手帳を持つ身として
バニラエアの件が、いろいろと話題になっているみたい。
http://netgeek.biz/archives/98767
自分は車椅子ではないし、見た目は健常者と同じ。
だけど、身体の障害者手帳を持つ身として。
プロ障害者。
これはあり得ないと思う。
アメリカ合衆国ならありかもしれないけど、今の日本では受け入れられないんじゃないかなと。
周りが直接文句を言わないことをいいことに、やりたい放題。
で、権利団体に訴えるとか、ヤクザと同じ。
障害者手帳を持っていると、各自治体から補助がでます。
お金だったり、タクシー券だったり。
東京の場合、都営交通の無料券があったりします。
そのお金は、税金から。
高額な治療費、医療費でも、自費で払えるような生計を立てられれば、必要ないけど、庶民にはなかなか難しい。
だから、そうやって支援してもらっている。
周りに助けられて生きているわけです。
困っている時に、声をかけてもらうだけでも、救われることもある。
なのに、自分勝手な理屈で、周りに迷惑をかける生き方、それをネタに商売をしている生き方は、理解できない。
個性だという。
個性を強みにして、商売をするのは悪いことではないとおもう。
だけど、方向性が間違っているんではないかなと。
バリアフリーの設計に対して、ユーザーとして、アドバイスをする。
これは全く問題ないと思う。
世の中に貢献していると言えるだろう。
だけど、このやり方は。
誰が得をする?
障害者はろくな奴ではない、まともではない、迷惑な存在。
そう印象付けかねない。
個性の生かし方は、いろいろとあるだろうに。
ただ、この人の思考回路にたどり着くのもわからなくはない。
やり方は間違っているとおもうし、自分はそうならないけど。
多様な価値観
昔は、みんな同じ価値観の中で生活してきた。
だから、人と違うというのは、とても怖いことで、自分を殺して無理をしていた。
高校卒業して、大学に進学して、一生勤められる会社に就職して。
結婚して、子供を作って、夕飯は家族団らんで。
テレビが唯一の娯楽で、チャンネル争いなんてあったりするくらい。
テレビを見ていないと学校でいじめられる。もしくは仲間外れにされるくらい、テレビというコンテンツは大きな役割を果たしてきた。
みんながいいというものが良いもの。
だから、メガヒットした音楽なんてものがたくさんあった。
みんなが歌える歌があった。
バブルの頃まではそうだったのだろう。
いつからか、いろいろな価値観を打ち出してきた。
テレビをにしろ雑誌にしろ。
モノが売れなくなってきて、視聴率を取るために。
珍しいもの、変わった人たちにフォーカスをあてて。
それは、流行に流されないハイセンスな人たちもそうだし、障害者をはじめとした社会的弱者も含めて。
そうすると、ライフスタイルも全然変わって来る。
自分はゲイだから、LGBTの話をすると、昔はそれほどいなかった。
潜在的にはいたのかもしれないけど、今ほどゲイという人たちはいなかった。
なぜなら、ゲイである=いじめの対象だったから、みんな隠して生きてきた。
親が結婚しろとうるさくいうから、結婚を余儀なくされた人たちだっている。
今はストレートな人たちだって結婚しない時代。
結婚しないから、ゲイなのじゃないかという変な噂もそうそう起きないだろう。
だから、無理しないでゲイだと自称する。
というよりは、バイセクシャルが増えたのかもしれない。
女の子が好きだけど、男にも興味がある。
若い子20代にはその傾向が強い気がする。
おしゃれ、に見えるというのもあるのかもしれない。
ゲイはおしゃれ。
そんなざっくりとした価値観。
そして、ジェンダーレスが増えてきているからファッションとしてのゲイを受け入れる。
それはそれで、ゲイに対して失礼な話。
NYのアートシーンなんて、ゲイじゃないとみとめてくれない逆差別だってあるくらい。
日本人で向こうに渡って、本当は女の子が好きなんだけど、ゲイだと自称していた人もしっている。
ゲイの人が、日本の男社会で、無理やり風俗に連れて行かれるような苦しみを逆にあじわっている。
悪気はない。
のはわかっている。
仲良くなるために、自分にとって、良いこと嬉しいことをシェアしようとしているだけ。
だけど、価値観が違う人にとってはそれは押し付けられただけ。
苦痛でしかない。
それがわからない人たちがいる。
ノンケの男で風俗好きで、っていう人は、まだマイノリティだし、わからなくはない。
だけど、ゲイという差別を受けてきた人たちが、マイノリティになったとたんに、ゲイという価値観がないとセンスがない、という判断をするのはいかがなものかと、同じ側の人間として思う。
経験をしたことがないことは、想像ができない。
そういう人がいるのは知っているけど、身近にはいて欲しくない
多様性を認めるという発言をしている人たちだって、自分と関係ないところでの話だから。
いざ身近にいるとなると、なんらかの理由をつけて、遠ざけようとする
ゲイということを理由に解雇はできない。
だから粗探しをして、他の理由をつけて辞めさせる。
そんな話だって未だに聞く。
理解をしてほしいとは決して思わない。
だから安易にわかると言われてもそれはそれで腹が立つこともある。
望むことは否定をしないこと。
そういう生き方もあるんだね、というスタンスで受け入れも否定もしないこと。
これが一番かも。
受け入れられない=拒絶ではないという判断のもとで。
LGBT。
被害者意識が強すぎて、被害者ビジネスをする人たちが嫌い。
ももクロの男性限定のライブが女性権利団体によって阻まれたという記事。
電車の女性限定車両の存在。
そして、痴漢冤罪問題。
ねぇ、LGBTからして見たら、何?
って感じなんですけど。
LGBTもすっごい色々種類があって、よくテレビに出ているのはその一部。
大多数は男として男が好きな人。
なんで、女性権利団体ってあんなんなんでしょう?
踏み込んでは描かないけど、女性ってだけで何?
女性だけが守られるべき存在ではないのに、女性だけ。
見た目が女性だけってことだけで、優遇される。
レディースデー、相席屋などなど。
なのに、女性権利団体は、それは見て見ぬ振り。
だから嫌い。
男性が優遇されると差別だっていうのに、女性が優遇されるのは当然。
男女平等を訴えるのなら、女性が優遇されている事実だって、差別だってことになるでしょう?
だけど、ビジネスとして成り立ってると。
ももクロの男性限定ライブはビジネスとして成り立ってたとしても、ダメなの??
小学生の頃、女の子に間違えられてなのか、男の子が好きな人だったのかわからないけど、痴漢にあった経験はある。
とても怖かった。
だけど、だから何?
痴女に会うこともあった。
痴漢はとても許されなくて、痴女は咎められないって何?
ましてや、遠くに離れていたって、女性が泣き叫べば、痴漢になる。
冤罪まで起きているのに。
死者も出てる。
なのに、見て見ぬ振り。
LGBTも最近被害者ビジネスに名乗りを上げてきているようでとても嫌。
ビジネス。
金稼ぎ。
とても嫌。
多様性を認めましょう。
でいいんじゃないの?
こんなのが現状。
就職していてもまだまだ差別はある。
というよりも差別は無くならない。
遠い世界のことならいいけど、身近にいるのは嫌。
これが本音。
だから、これからもっと認識をしてもらう必要はあるから、アピールは重要だとは思う。
ビジネスではなく。
タイの性別は、日本なんかよりもっと複雑。
タイの性別一覧がすごい!18の性?現在は40近くという噂まで・・「複雑すぎる」
いろんな人がいて、それぞれの価値観で生きている。
それが共存できる社会。
それが必要なんじゃないの?
アフタースクール
昨日テレビでたまたま見かけた。
TBSの『EARTH Lab ~次の100年を考える~』という番組。
子供が犯罪の被害にあう62%は夕方起きている。
ということから、子供を守るために、有意義な放課後の過ごし方を提案しているNPO法人が取り上げられていた。
これが素晴らしいなと思ったのは、今までに500種類以上のプログラムを小学生に提供してきたこと。
テレビでは、現役のミュージカル女優が子供にレッスンをしていたのだが、それ以外にも様々なことを体験できる場を提供している。
職場のアルバイトの子の人生設計というか、キャリアプランの相談に乗っていても思うのだが、世の中には人に知られていない仕事がものすごく溢れているということを知らない。
将来どうなりたいのか、どんな仕事をしたいのか、そう聞いても答えは返ってこない。
なぜなら、どうしたいのかがわからないから。
画一的な教育で、大学でも専門性を学んだところで活かせる仕事になんてなかなかつけない状態。
どんな会社に勤めたいのか、とかアンケート結果見てるとゾッとする。
業界で絞るのもいいかもしれないけど、どんな職種に就きたいのか、仕事に就きたいのか、これを考える必要があって、それを仕事にするには、どのようなことを勉強すればいいのか、どういう経験をすればいいのか、誰も教えてくれない。
だから、何も考えずに、いい高校入っていい大学出て、いい会社に入るとか馬鹿みたいな他人が敷いたレールに乗る。
その結果、主体性のない子になっている。
学校に入るのが目的になっていて、何がしたいかなんて考えていないから。
小学生の頃に、このようにしていろんな職業や仕事に触れるということは、とても刺激的でいいことだと思う。
具体的に何になりたい、とか、こんなことできるんだとか、学びの場になるし、成功体験にも失敗体験にもつながる。
次に何をしていけばいいのか考える力も身につく。
達成感も味わうだろうし、挫折も味わうかもしれない。
テレビゲームみたいに失敗したらリセットということはできないということも学べる。
ギフテッドの子なら特に良いだろう。
ギフテッドの子は、得意なこと苦手なことが人よりはっきりしている傾向にある。
文部省が定めた教育には不向きでも、こういう体験の中から自分の得意なことが見つかれば、自分を表現できるものが見つかれば、なんて素敵なことなんだろうと思う。
他のマイノリティでも同じ。
自分に自信が持てる何かがあれば、生き方は変わる。
何かできることがあれば、力になれればと漠然と思う。